仏教の教えや人生の縮図として語られる「生老病死(しょうろうびょうし)」という言葉があります。生まれて老いて、病にかかり死を迎えるという普遍的な人間の営みです。
しかし、この順番の中に、あえて「不健康」という言葉を挿入してみたらどうでしょうか。
「生まれてから健康な心身で日常生活を送っていた人が、年齢を重ねるにつれてどのように身体機能が低下し、何がきっかけで不健康の淵へと滑り落ち、そしていかにして病気を迎えるのか」
これは非常に興味深く、かつ誰もが避けて通れない人生の一側面です。私たちは、ある日突然、青天の霹靂のように病気になるわけではありません。
平家物語の冒頭にある「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり……」の調べのように、人の身体もまた、常に移り変わり、決して同じ状態にとどまることはありません。「慢心は油断となり、足を一歩踏み外せば、急転直下に奈落の底まで突き落とされる」という戒めは、まさに日々の健康管理においてもそのまま当てはまります。
しかし、不健康とは、健康な人に語りかける悪魔の囁きのようなものかもしれません。善良な市民でさえ、日々の忙しさに紛れて小さな間違いを犯し、「まあ良いか!」という一回の油断を重ねてしまう。それは「鍼の一穴(はりのいっけつ)からダムの崩壊が起こる」が如く、気づかないうちにじわじわと歩み寄る、見えない脅威の正体なのです。
2. 「不健康」と「病気」の決定的違い
健康な人が、ある朝目覚めた瞬間に突然病人になることはありません。昨日まで元気だった人が、何の前触れもなく重度の慢性症状に苦しむわけでもないのです。その背景には、必ず長い「不健康の期間」が存在しています。
では、健康から不健康へ移行する本当の瞬間とは一体何でしょうか。
それは、血液検査の数値が異常になった時ではありません。病院で医師から特定の病名を告げられた時でもありません。
不健康の入り口、それは、「身体の回復力よりも、身体の消耗が上回り始めた時」 に他なりません。
若い頃は、多少の無理をしてもすぐに元に戻りました。徹夜をしても回復し、暴飲暴食をしても翌日にはケロッとしていられました。運動不足が続いても、大きな問題は起きませんでした。
しかし、加齢、生活習慣の乱れ、慢性的なストレス、そして運動不足が蓄積することによって、私たちの身体が本来持っている「予備力(基礎体力)」は徐々に削られていきます。
その結果、次のような小さなサインが現れ始めます。
「最近、とにかく疲れやすい」
「ちょっとした階段で息が切れる」
「仕事や家事の間、集中力が続かない」
「朝からやる気が出ない」
「肩こりや頭痛の頻度が増えた」
「寝ても寝ても疲れが取れない」
「眠りが浅く、夜中にトイレに起きてから再び寝付けない」
多くの人は、これらの変化に対して、こう言い訳をして見過ごしてしまいます。
「年齢のせいだから仕方ない」 「今は忙しい時期だから当然だ」 「みんなだって同じようなものだろう」
しかし、この段階こそが、まぎれもなく「不健康の始まり」なのです。
この時点では、まだ医学的な「病気」ではありません。そのため、健康診断を受けても「異常なし」と言われます。しかし、身体の内部では、体力、自律神経機能、呼吸機能、そして組織の回復力が着実に低下しています。
不健康とは病気ではありません。機能低下は、直ちに機能障害(病気)を意味するわけでもありません。
しかし、だからといって安全なわけでもありません。なぜなら、不健康を放置し続ければ、必ずその先にある「病気」へと向かってしまうからです。
高血圧も、糖尿病も、動脈硬化も、脂質異常症も、数々の慢性症状も、ある日突然発生するものではありません。その水面下では、不健康の期間が何年も、あるいは何十年も密かに続いていたという結果にすぎないのです。
だからこそ本当に重要なのは、病気を見つけることだけではなく、「病気になる前の不健康を見つけること」なのです。
3. 不健康の入り口に足を踏み入れる瞬間
人は、いきなり病気になりません。「健康」から「不健康」へ移行し、やがて「不健康」から「病気」へと進んでいきます。
逆に言えば、不健康の段階でそのサインにいち早く気づき、生活習慣や体力、呼吸、活動量を正しく改善できれば、病への流れを食い止めることは十分に可能です。
では、健康な心身から、不健康の入り口へ足を踏み入れてしまう決定的な瞬間とは何でしょうか。
それは、「身体からの小さな警告に気づきながらも、『まだ大丈夫』と見過ごした瞬間」です。
その「見過ごし」が日常化し、放置し続けることで、身体という名の「借金・負債」が雪だるま式に膨らんでいきます。不健康の程度が重度になると、身体を元に戻すこと自体が億劫になり、やがて自発的な動機づけが減少し、年齢とともに「どうせ自分は年だから」という諦めの境地から抜け出せなくなってしまうのです。そして、いよいよ取り返しのつかない本当の病気へと足を踏み入れてしまうのです。
自分で蒔いた種は、自分で刈り取るしかありません。すべては日々の選択の積み重ねです。そして、全ては日々の修正する日常生活、生活習慣にこそ不健康から脱殻する糸口があるのです。
4. 医療の限界と、当院が果たすべき使命
こうした日常の小さな変化を客観的に評価し、自ら改善する行動へとつなげることこそが、本当の病気を予防する第一歩となります。
その客観的評価のデータを提供し、不健康な状態から確実に「健康な日常」へと連れ戻すサポートをすることが、当院の使命です。
ここで、多くの方が直面する一つの大きな壁があります。
病気の対応は医師の専門領域ですが、病気と同様に苦しい「不健康(機能低下)」には、残念ながら医師は専門外であるということです。
医療機関で詳細な検査を受けた結果、医師の行う保険診療・標準治療の範囲において「正常範囲内(異常なし)」と判断された場合、どこの医療機関を受診しても同様の判断が下されることでしょう。どれほど本人が苦しく、日常生活に支障をきたすほどの不健康に悩んでい向かっていても、病気として診断基準を満たさない以上、保険診療の枠組みの中で医師が個別に対応することは極めて困難です。
5. 院長としてのバックグラウンドと確信
私は、医療類似行為の国家資格である柔道整復師・鍼灸師であると同時に、アカデミアの世界において深く身体と向き合ってきました。 体育大学で体育・運動・スポーツを学び体育学士を取得し、教育大学修士課程を修了して教育学修士を取得、さらに人間の営みや生活を科学する博士課程を満期修了し博士(生活科学)の学位を取得しました。
この「体育学」「教育学」「生活科学」の多角的な視点と、長年の臨床経験を融合させることで、医師にはアプローチできない「不健康から健康への回復」を導くための確かな知識、技術、そして実績があります。
脳波測定、心電図測定、呼吸測定、基礎体力測定といった客観的データを駆使し、あなたの身体の「本当の状態」を可視化します。
もし、数々の医療機関、鍼灸院、整体院、スポーツ施設などに通ってみたものの、一向に症状が解消されずにお悩みであるならば、ぜひ当院にご相談ください。
「見えない不調」の正体を明らかにし、あなたの身体が本来持つ回復力を一緒に取り戻していきましょう。
全国の遠方から来院する方が増えてきました。
当院の医科学的アプローチを求め、全国(北海道・岩手・大阪・鹿児島など)から飛行機や新幹線で来院される方や、片道2時間前後をかけて通われる方(甲府・木更津・市川市・成田・鎌倉など)もいます。
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